2012年3月28日水曜日

試合後のユアスタ劇場を考える

最近のベガルタンは、試合終了後のヒーローインタビューを聞きながら、選手たちの挨拶を遠目に確認して帰路についています。カミさん的には「もうチョットでいいから余韻を味わいつつ、ユアスタ劇場を堪能して、オーラを歌ってから帰りたい・・・」との思いがあるようだが、この「ユアスタ劇場」を心の底から楽しめていない自分に気づいた2年前くらいから、ベガルタンは最後まで残ってオーラを歌う事が無くなりました。ユアスタへ参戦し、選手と共に戦い、そして勝利を掴み獲った感動を全員で共有する為の確認作業とも言える「オーラの合唱」。その行為の素晴らしさを一度でも体験すれば、2大会連続オリンピックのゴールドメダリストである北島でさえ「もう、何にも言えねぇ~~~!!」と感極まる事は確実である。

正直、ベガルタンも岡山が在籍していた頃は「試合を勝ってからの岡山劇場を堪能し⇒そして全員の気持ちが一つになるオーラの合唱をする、それこそがベガータ教信者としての務めだ・・・」と思っていました。さらに言うと、そんな行為を放棄する事は、キャバクラへ行って店外デートを申し込まないくらいに「もったいないこと・・」と考えていました。しかしです、ある試合で、いつものようにユアスタ劇場とオーラの合唱を待っていたら、そのスタートを待っていた選手たちの表情からは「今日は寒いし、勘弁してくんねーかなぁ~~」とか「これが、かったるいんだよなぁ~~、ファンサービスが大事なのは分かっているけど、少しでも早く試合後はクールダウンのストレッチがしたいし、正直腹も減って来たよ・・・」みたいなオーラが、スタンバイしている選手全員から発せられている事に気づいたのです。

もちろん「見えた見えない、感じる感じない」はベガルタン個人の主観なので、100%正しいとは断言できません。しかし40年も生きていれば、スタンバイしている選手たちの表情やしぐさなどから、「あっ、こいつら、やる気ねーな?」くらいの感覚は何気に分かるものです。最初の頃は、岡山と言う強烈なキャラクターに引っ張られ、我々サポーターもその勢いに便乗して「岡山劇場」を堪能していました。かく言うベガルタンも、一度だけ試合終了後にゴール裏へお邪魔し、岡山斬りに対して「うわぁーーー」と斬られに行った事があります。考えてみれば、あの頃がユアスタ劇場のピークだったかもしれませんな。

そうかと言って、ベガルタンは試合終了後のパフォーマンス自体を否定している訳ではありません。「勝利⇒シャンゼリゼ⇒オーラ」と続くユアスタ全体のパフォーマンスの素晴らしさは、100年も経てば絶対に「世界遺産」へ登録される事は必然です。しかし何度も言いますが、ユアスタ劇場と言う行為は、岡山と言う強烈なキャラクターがマストアイテムでしたが、今は、そんな選手もサポーターも強引に引っ張って行ける存在は居りません。つまり、ユアスタ劇場はある意味「主役が居ない舞台」と同じになってしまったのです。そうなんです、IKKOさんが嘆くように「グイグイ来るぅ~~~」くらいの際立った主役が居ないと、ユアスタ劇場は成立しないのです。

個人的に現状の問題点を上げるとしたら、下記の三点です
1.選手たちも心から楽しめるようなパフォーマンスなのか?
2.パフォーマンス自体を、もっとコンパクトに出来ないか?
3.雨が降っていたり、寒い日などは選手の体調に考慮できないか?
もっとも、最近はユアスタ劇場に参戦していないので、これらの三点が全くの的外れである可能はあります。

どうせやるのであれば、選手も我々サポーターも両方が楽しめるパフォーマンスが理想です。ニュースが分かる池上さん風にざっくり言えば「ユアスタ劇場というものは、試合自体がグリコのキャラメルで、劇場はそれに付いてるオマケみたいなものなんですね・・・」とも考えられます。もちろん、選手たちがサービスとしてやってくれる分には何の問題もありません。ファンサービスがサポーターと選手の距離を縮めてくれている側面は誰も否定できませんし、オマケがユアスタ劇場なみにゴージャスであれば、我々サポーターからしても嬉しいものです。しかし、選手自体の心のどこかに「やらされている・・・」という感覚が芽生えてきているのであれば、そんな義務感にも似た舞台を見ても感動を覚える事など出来ないでしょうな。


ベガルタの象徴ともいえるオーラ、また私が歌う時はくるのであろうか?

じゃあどうすればいいのか?どうしたら選手もサポも楽しめる劇場となるか?

これはねー、議論の余地はあると思うけど、端的に言えば「試合後の余韻が冷めないうちに、終了直後、すぐにオーラを全体で歌う」くらいのコンパクト化は必要でしょうな。今は何の取り決めもなく、気分によってはシャンゼリゼを複数回歌ったり、選手インタビューが長引けば、その待っている間は放置プレー状態だったり、雨が降っても寒くなってもお決まりの儀式のように、その時の気分で行なっている現状があるので、どうしても選手たちからすれば「やらされている・・・」という気持ちになる事はしょうがありません。もうね、脚本家を使ってでもいいから、全てをシステマチック&コンパクトにしてもらって、「はい、ここでシャンゼリゼ!!そしてターンして、ここでフォルツァ仙台。いいよ、いいよ、インタビューで遅れる選手は待たなくていいから、最後にオーラで締めようか!!」みたいに、全体を10分くらいのドラマ仕立てにする改革は必要でしょうな。もっとも、そうなると今度はサポーター側に「やらされてる感」が出て来るところが難しいところです。

0 件のコメント:

コメントを投稿