2016年10月25日火曜日

神戸戦


神戸戦はナイスでしたな。なんでも、向こうは主力が試合に出れなかったとか、そういえば試合中「神戸の攻撃って、こんなにユルユルだっけ?」と思っていましたが、そうでしたか、主力が出れなかったのですか・・・納得です。

野沢が入ることによって、チームには明らかに化学変化が。しかし、その変化を文字にすることは困難で、こう、なんて言うか「攻撃態勢に入った時がスムーズ」って言う感じでしょうか。今現在、野沢と西村を比較するのは無理筋。プレイスタイルも経験値も、そしてスキルも違う以上、試合内容に変化が起きるのは当然と言えば当然。鳥栖戦での西村が悪かったとは思いませんが、神戸戦で我々が得た「野沢」という化学変化を鑑みれば、西村が越えねばならない壁は「ベルリンの壁」くらいに高いようです。

先制はオウンさん。このゴールは最高でしたな。もうね、「ここしかない!」っていう絶妙なコースにバックパスしたボールがスムースイン。瞬間、ユアスタは大盛り上がり。ちょっと早いけど、ある意味ハッピーハロウィン。その後の祥平コールは秀悦でしたな。

ハモンのゴールはグレート。又、そこに至るまでのリャンのクロスも絶品。そして、そのリャンへのボールをノッキングせずに供給したのは野沢でした。あの局面、野沢は何ともなしにボールを受け渡したけど、西村なら、奧埜なら、どうなっていただろうか・・・まっ、それをアレコレ考えるのもサポーター冥利でしょうかな。

大岩のヘッドもナイス。あの瞬間、ベガルタンは感じました「菅井から確実に受け継いでるであろうDNA」を。おそらく、菅井は大岩に対し、あれやこれや指導することは無かったはず。しかし、DNAとは教えられるものではなく、自然と受け継がれるもの。こんな時はスタメンで試合に絡めない菅井の心情は詮索せず、素直に大岩という新たな選手の躍進を喜びたいところです。

ウイルソンの退団に関して想う事はありますが、シルビの退団を経験しているベガルタンからすれば、「これも世の常・・・」であります。本心から言えば「来年も・・・」ではありますが、フロントからすれば余程悪ったんでしょうな、コスパが。

ウイルソンは愛された選手です。その選手が退団ともなれば、不満が出てくるのも当然。しかし、チームという「御木」が太くなる為には、もっともっと「喜びや哀しみという名の年輪」を重ねなければなりません。願わくば、ウイルソンの退団も「年輪を太くする一里塚」となり、「御木」が太くなる礎になって欲しいもの。

将来、リャンや富田がスタメンから外れ、試合に絡めない時が来るでしょう。ひょっとしたら、あってはならない事ですが、出場機会を求めチームから去る時があるかもしれません。それは哀しい出来事でしょうが、その哀しみがチームを強くすることを、我々は鹿島というチームから学ぶことが出来ます。平瀬や柳沢、さらには野沢だって鹿島というチームが嫌になったからチームを去った訳ではなく、その動機は「試合に出たいから」というピュアなもの。だからこそ、互いに高められると思っています。

強くなりたい・・・大きくなりたい・・・その為には古い殻を脱ぎ捨てねばなりません。何度となく書き込んでいる「カニは脱皮しないと大きくなれない」ということですな。別にウイルソンが「古い殻」と言う事ではなく、チームが成長するためには、ウイルソンの退団という成長痛はしょうがないと考えているだけです。彼の退団はマジで激痛ですが、チームが成長するためには・・・そう考えることによって、何とか平静を保っているベガルタンです。

2016年10月20日木曜日

ベガルタン、聖ベガルータ教会へ行く


ここは仙台市泉区の郊外にたたずむ聖ベガルータ教会。この教会に居るベガリターノ司教は人格者で、その教えを請う人や、悩み事を打ち明ける人などが大勢集い、教会とは思えないくらいの活気に満ち溢れている。もちろん、ベガルタンもその一人だ。今日は毎年恒例、司教に「今年のベガサポとして」の懺悔をしに来たのだった

小春日に包まれたかのような今日この頃、ベガルタンは泉区の聖ベガルータ教会へ車を走らせていた。普段であれば、仙台の状況などを語りながら楽しく時間を過ごすのであるが、今回は自らの悩みを打ち明け、現状における「もう、とっくの昔にオフシーズンモードですから・・」的な堕落した感情、これをどうしたら改善できるか?を、ご教授していただこうという訳である。

教会の中へ入ると、普段ならば雑談する小部屋もハッピーハロウィン仕様になっていた。ベガリターノ司教も信者たちと飾りつけの真っ最中、そこには間違いなく「温かい光」がある。そして、その光の大半は、ベガリターノ司教の笑顔から湧き出ている事を、誰よりもベガルタンは知っているつもりです。

ベガルタンに気づいたベガリターノ司教は、私を司教の執務室へ手招き、マロンケーキを戸棚から出してきた。
司教「これ、最近のお気に入りなんです」
自分「美味しい!信者さんの手作りですか?」
司教「いえ、実はコンビニなんですよ」
自分「えっ、コンビニ?」
司教「便利な世の中になりましたね、ただし、人の心だけは買えませんけど」

その言葉でスイッチが入り、ベガルタンはベガルタの現状と、それを応援する自身の応援姿勢について、司教に対して悩みを打ち明けたのだった・・・

自分「リーグも中断期に入り、残留も確定、ここから例え3連勝しても順位が1つ上がるだけで、そこに意味や意義を持たせるのは困難です。若い選手が出てきたとはいえ、チームのポジションは恒例の二桁。得点力は乏しく、失点は増加傾向。昨年よりも勝ち点は増えたとはいえ、目標のトップ5は遥か彼方。

怪我人も年々増える傾向があり、とてもチーム力が底上げしているとは思えず、勝ち点が厳しくなれば「まず守備から」に逆戻り、パスを繋いで攻撃的なサッカーを標榜しても、チーム苦しくなれば「堅守」がベースの手倉森サッカーへ。結局苦しくなったら、鍋監督がいうところの「我々には苦しくなった時に戻るべき場所、土台がある」へ逃げることが続いていると思うんです。逃げてるという表現が悪ければ、一度立ち止まって戻り続けていると思うのです。

つまり、いつでも帰れる場所があるので「チーム状況が厳しくなったら、そこへ逃げればいい・・・」という状況こそ、今となっては不要なのではないか?そして、その状況へ逃げ込むことを選択する渡邊は良い監督なのか?本当に怪我人が多いから、しょうがないのか?今のチーム力では他に選択肢はないのか?道は1つしかないのか?等々、そんなネガティブな人を考えていたら、チームの応援にも身が入らないと言うか、なんと言うか・・

司教「だいぶ苦しんでいるようですね。う~ん、そのような難しい疑問に私が正確に答えるのは困難です。ただ、あなたの悩みを聞いて、主の、こんな言葉を思い出しました・・」
「わたしたちの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」 ヤコブの手紙1章2節

 目に見える望みは、望みではありません。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。ローマ人への手紙82425

ユアスタへは行かない、応援しない、情熱が続かない・・・つまり、ベガルタから逃げ出したい人たちにとって、今の状況は最高です。しかしながら、目に見えるものにとらわれやすいのも人間でしょう。目先に執着するのが人間ですが大事なことは、目に見える望みは、本当の望みではないと聖書は語っています。本物の望みは絶対に目に見えないのです。

ベガサポの望みとは何でしょうか?大金をつぎ込み、スター選手を獲得し、毎年のように優勝する・・・。そうかもしれませんが、それは望みの一部ではありますが、全体では決してない・・・と私は信じています。じゃあ、何か?目に見える望みが「望みではない」とするのなら、忍耐をもって熱心に待つのは何なのか?

それはきっと、西京極での財のゴールであり、大分でのシルビの涙であり、入れ替え戦でのリャンの涙であり、j2優勝を手繰り寄せたセレッソ戦でのパックンのヘッドであり、震災後に川崎で行われた太田のゴールではないのでしょうか?もちろん、これらのシーンは目に見えるものですが、大切なのは目に見える事象ではなく、それらのシーンに至るまでの「心の葛藤」や「そのシーンに至るまでの過程」だと私は信じています。

 その言葉に涙し、ベガルタンは教会を去りました。初めてベガルタを観戦したサポでも、財のゴールや太田のゴールを見れば感動するはずです。しかし、その過程を共有している者と、そうでない者との間には、同じく泣いても、その想いには天と地ほどの差が出るはずです。可能であれば、私は「共有している者」として、人生を歩みたい・・・。心の底からそう思ったベガルタンです。

2016年10月12日水曜日

ベガルタン、5年後を想う


えー、代表戦があったことを、翌日のニュースで知ったベガルタンです。そう言えば、最後に代表戦を真剣に見たのは、確か関口が先発した時でしたかな・・。だからと言ってワールドカップに興味がない訳ではなく、それよりもベガルタの試合の方が、何百倍も感情が移入できるからです。せめて、1人でもいいから、ベンチに仙台の選手が居れば・・・簡単そうで、これが又難しい。

正直、チームを5年くらい応援していた時は「きっと代表にも仙台の選手が複数選ばれる時が来るだろうな・・」と思っていました。しかし、15年以上たった今では「俺が生きてる間に、代表戦で仙台の選手が複数人出ることはあるんだろうか・・」が偽らざる気持ち。あって欲しいが、そのような願望は富山湾に浮かぶ蜃気楼。実情としては、厳しめというよりも、無理筋なんでしょうな。

複数人出場する・・・と言う事は、佐々木や小島や茂木などが揃って選ばれると言う事だけど、そのクラスの選手は他チームにもいる訳で、って言うか、もっとレベルが高い選手が世代間の垣根を越えてたくさんいて、その中からの11人となると「俺が生きている間には・・・」って考えちゃうのはしょうがないよね。

ビッグネームをバンバン獲得するのは厳しい仙台。そうなると、願望実現の鍵は仙台ユースの頑張りです。なんでも、今年のユースはプレミア入りのチャンスがあるとか。プロを目指す少年にとって「プレミアでプレーする」ということは、その夢に一歩近づくドアの入り口。トップチームがj1であるのなら、ユースもプレミアで戦い続けてこそ、チームの底上げが連動するというものです。

上を行くチームは、ユースがプレミアで戦いつつ、その上の年代はj3で切磋琢磨。仙台のチーム力を勘案すると、そこまでは無理なので、仙台大や明成高校などと連携することによって、チームの底上げを狙っています。もっとも、ユース年代のレベルを上げる起爆剤はトップチームの頑張り。そこが厳しい状況なのに「ユーズは頑張れ!」と言われても、「そういう、お前が頑張れ!」とのオウム返しは覚悟せねばなりません。

なんでも、今年のチームは2億円の赤字予想とか。ぶっちゃけ「来年は3.5億円の強化費がリーグから入ってくるから、こんなのは鼻くそだよ」との思いはありますが、そんな状況でもコストカットしてならないのが、トップチームとユースチームの強化費。「赤字だから緊縮財政で・・」は誰でも考える事、「赤字でも知恵を絞ってトップチームとユースチームの強化費は削らず、成長戦略を描きたい・・」と考えてこそ、ナイスなフロントです。

来年から、レディースはマイナビとパートナーを組んでシーズンを戦います。これはフロントの皆さんのグッジョブ!普段批判してても、良いときは褒めるのがベガルタンです。そうなると、今まで以上にトップチームとユースチームの強化費に資金を投入できる素地はできてきます。これって、意外とデカいよね。

このフレームを構築したのは現社長のお手柄としても、「じゃあ2億円も赤字にしていいんですか?」とはならないところが代表取締役社長の辛いところ。どのような状況であれ、チーム結果の最終的な責任は社長だからね。赤字で何とか残留・・・これを善しとするフロントや選手、そしてサポは皆無。

それでは、何を「心のより所」にするかといえば「今年は若手の成長が・・」ぐらいでしょうな。しかし、それだけではパンチ不足。そこで「ユースチームのプレミア昇格」が大切になってくると思うのです。チームの成績的には不満足でも、16年は若手が育って、チーム力アップの基盤ができた・・・5年後、こう言いながら代表戦を見たいものです。

2016年10月6日木曜日

鳥栖戦


えー、気分はとっくにシーズンオフなので書き込む頻度が激減していることは、どうかお許しを。

試合はハモンのハットで逃げ切り勝ち。いいですな、こう、常に先行・先行する展開は。後半の一部以外は何気に仙台のペース。だからと言って「この試合は終始仙台だったな・・」という感じではなく、どちらかと言えば「鳥栖って、調子悪いのか???今の仙台にこんな試合で・・・」的な印象。

鳥栖が常に、高い位置からのハイプレスで戦っているのかどうかは分かりませんが、攻め手のバリエーションが乏しい仙台にとって、このハイラインは渡りに船。きっと、自陣でマッタリとスペースを守られたら、かなり苦戦したのでしょうな。しかし、相手だってそんな事は百も承知のはず。じゃあ何故しなかったのか?の疑問を冷静に考えれば「降格もないし、来期に向かって種を蒔くべき時だ」とチームが考えたとしたら、それはそれで正論ですな。こんな時しかできないよね、来季に向けての実戦練習って。

ハモンのハットはグレートですな。先制したことにより、鳥栖の守備も前目で喰い付いてきたから余計にスペースが空き、ハモンや西村がプレーしやすくなったような気もします。ハモンの2点目は藤村のアシストだけど、藤村は時々なんともなしに、そしてひょうひょうとナイスプレーをします。

どんな時でも闘争心を前面に出さないランニングスタイルに関しては、ベガルタン的に「何とかならんものか・・・」との思いはありますが、あの走法を陸上部だった後輩が見ると「理想的な中距離選手の走法ですよ・・」とのこと。サッカーの選手に対して「理想の中距離ランナー」というワードが褒め言葉かどうかは怪しいが、そういうことらしいです、マジで。

そう言えば、3点目は奥埜のミドルフィードからですな。奥埜の無尽蔵ともいえる運動量は間違いなく仙台のスキルですが、前目の選手にしては得点という結果に関しては寂しい状況。もちろん、チーム状況や戦術が「奥埜君は守りも頑張ってください、しかも、滅茶苦茶」という状態では、イザ攻撃に移った瞬間にガス欠になる事もしょうがないような気が。しかし、奥埜の事を考えれば、来期はもっと攻撃に専念してほしいと考えています。最低でも二ケタ取らないと、個人としての評価はされないからね。奥埜は、もっと評価される選手になってほしいのです。

結果として仙台も残留が確定、なにより・なによりです。ただ、目標が「トップ5」ということを鑑みれば、なんだかなぁ~~の思いが正直なところ。別に魔女狩りや言葉狩りをするつもりはありませんが、シーズン前に社長や監督が必ずコメントする「目標」とは、チームにとってどれだけ重みがあるのでしょうか?

いやね、あれが単なる「リップサービスの類・・」だというなら、それはそれでいいんだよ。自分も営業をやってきて分かるけど、新規の顧客のところに行って「チーム状況は厳しく、来季の目標は15位ですので、何卒、ご協力していただければ・・」という営業トークと、「来季はトップ5目指して頑張りますので、メディアへの露出も多くなるかと・・・最終的にはタイトルさえも・・」という営業トークでは、力の入れ方も迫力も違ってきますからな。

で、何が言いたいのかというと「チームの目標をコメントするときは、結果にコミットすべき責任を背負うべき」であります。だから、目標というワードは使わないで「チームが目指そうとしているものは・・・」とか、「チーム全員で頑張りながら、何とかサポーター皆様と喜びを分かちあいたい・・」ぐらいで濁すべきです。もうね、どうせ達成しないんだから、順位をピンポイントでコメントするのはナンセンスだと思うのですが、どうでしょうか?