2013年4月9日火曜日

新潟戦に想う



いやぁ~~、何とも言えない試合でしたな。勝負事なので、頑張った結果に「勝ち負け」が付いてくる事はしょうがなく、その意味で「負けてしまった事」に対しての特別な感慨はありません。しかし、さして調子が良いとは思えない新潟相手に、「前半放ったシュート数が〇本!!」という試合内容には多くのサポーターも閉口したはずです。ベガルタンは前半の試合中、不覚にも“あくび”をしてしまいましたが、後にも先にも試合中に“あくび”が出たのは、サンタナ体制のシーズン後半以来です。それほど、内容が乏しかった・・・、いや、乏しいと言うよりも「観るべきものが何もなかった・・・」と言った方がいいのではないか?と思うくらい酷い試合でした。負けたら普通は「ちくしょう・・・」と思うくらい悔しいもんだけど、この日に限っては「負けちゃったか・・・」ぐらいにしか思わず、そんなにショックはありませんでした。負けたのにショックじゃない・・悔しくない・・・、こんな気持ちも、サンタナ体制の終盤戦以来です。



試合内容も問題だが、新潟サポの動員を加味しても、この日の観客数が「アンダー13000人だった・・・」事も問題であろう。

内容も結果も伴ってないので、何かが悪い・・・もしくは良くない・・・と言う事ぐらいは素人でも分かる。しかし、じゃあ何が悪いのか?と問われれば答えに窮します。ただ、それでは改善するヒントが無くなってしまうので、社内ではマネージメント担当のリーダーであるベガルタンが、それなりの意見を提言したいと思います。題して・・・

もしも、サッカー素人のベガルタンが、プロサッカーチームのマネージャーになったら

ベガルタンは仙台市内で働く会社員。チーム最高成績を残した昨年の半ばに、スポンサー企業に勤める親友である幼なじみに「チームの成績もトレンドも上昇局面だから、マネージャーって言っても、ただ試合を見てるだけ・・・人数合わせだから引き受けてよ・・・」頼まれ、気楽な気持ちでベガルタ仙台のマネージャーを務めることになった。マネージャーになる際に、「チームにタイトルを取らせる」という目標を立てるが、監督や、知人でエースのリャンを始めとする部員らの反応はやはり冷めたものであった。事実、激戦区であるJ1を勝ち抜くことは、現在の仙台の実力では到底無理で、CWCなど夢のまた夢・・・・。みたいな書き出しでもいいんだけど、要点はおそらくシンプルな物なんでしょうな。

会社でもサッカーでも、上手くいかなくなった時の原因を突き詰めると、それは意外とシンプルなものである場合が多い。ベガルタの場合で言えば・・・

戦術 システムの熟成や選手へのフィット感
戦略 過密日程に対する考慮やターンオーバーの是非
人  選手個々のコンディションや、選手自身のスキル
目標 チームのビジョンや目標設定は適切かどうか
金  その設定に対して、どれだけ資本を注入できるか

まあ、これらの中に要因があるか、それとも、これら要因のハイブリッドなんでしょうけど、新潟と言うチームが決して強いとは思われないだけに、「前半は圧倒的に攻められて、シュート1本も打てなかった・・・」という事象は、意外と深刻な出来事と思わざるを得ませんな。

まあね、巷では「4-3-3は駄目だ」みたいなシステムへのクレームや、個人名を出しての「○○選手は使うな、もう限界だ」みたいな特定選手へのバッシング、さらには頑なに新システムへのチャレンジを続ける監督に対しの非難など、昨年までなら絶対に起こらなかった不穏な雑音が多く聞こえるようになりました。今までも、ベガルタンは決して手倉森擁護派ではありませんでしたし、監督の任期はビジョンと結果、それらと時間軸を考慮して図るべきもの・・・という考えです。その意味で、手倉森監督が指揮を執り続ける事に何の異論もありません。なので、リーグ序盤で苦しい結果や内容を見せられても、ただちにチームや選手、そして監督などを批判したり愚痴る事など考えられません。

大切なのは、ブレない信念であり、明確なビジョンだと思っています。ベガルタンは、4-4-2とか4-3-3などのシステムに精通しておらず、その是非を論じる事は出来ませんが、結局は「プレーしているのは選手なので、新システムがタイトルを獲る上で必要不可欠なものであれば、数多くの不安は“やり続ける信念と熟成(時間)”が全てを解決してくれるはず・・・」と思っています。今現在のベガルタは、昨年度のように決して好循環なチーム状態とは言えません。しかし、昨年度の時点で「タイトルを獲るには、何かが足りない・・・」と言う事だけは分かっています。だからこそ、チームは一皮剥けるべく、“脱皮”を試みようとしているのが、今のベガルタなのでしょう。自然界においては、脱皮する瞬間は無防備で、敵から襲われて命を奪われる場合も多いと聞きます。しかし、彼らは脱皮する事を辞めようとしません。何故なら、「脱皮をしないと成長できない・・・」と言う事が本能的に分かっているからです。

もしも、ベガルタが歩もうとしている道程が間違いではなく、目標にしているビジョンに対して行なっているアクションも正しければ、チームが今の状況から抜け出す事に、さして時間はかからないはずです。我々が出来る事は、そう信じて応援するのみ・・・。成長する為の脱皮には苦痛や困難が生じるけど、その先にしか「我々が待ち望んでいるタイトルはない」と言う事が分かっているのであれば、我々サポーターも「我慢と言う名の脱皮」を受け入れねばなりません。もちろん、この我慢が無駄になる可能性はあります。しかし、この我慢が無駄かどうかは、シーズン終了後という将来にしか分かりません。この論調は、「貴方は神を信じますか、それとも信じませんか」と同じ意味合いを持つのでしょうが、だとしたら、ベガルタンは「信じる派」でサポーターを続けたいと思っています。

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