2013年3月23日土曜日

ベガルタン、柏戦で再び絆を確認す!! 2

前回のブログから、1年後に起こった出来事を綴ったのが今回の書き込みです。あれから、もう三年も経つんですな。大震災が起こって、正直、清次先輩の事を思い出す事も少なくなりましたが、そんな時、ベガルタンに絆の大切さを思い出す出来事が起こりました。今回の出来事の導火線になった書き込み、それが3年前の、このブログです。

2/18 恵美さん、清次先輩の元へ旅立つ!!

世の中の不条理さには慣れていたつもりだったが、さすがに今回の出来事には凹みました。昨年に「松坂が投げる剛速球のような本格的なベガ系ブログは諦め、気楽な感じの筆休め系ブログを目指します」と宣言していらい、一貫して脱力感溢れるコラムを書き綴ってきましたが、今日のコラムだけはシリアスな物にならざるを得ません。そして今日のブログは、昨年、ベガルタの昇格シーンを見ることなく天国へ旅立った清次先輩と、7日前に清次先輩の後を追いかけるように、この世を去った恵美さんに捧げます。
清次先輩はベガサポで、そしてベガルタの素晴らしさを教えたのは自分でした。生前「お前には色んなことを教えたが、唯一教わったのはベガルタだよな」と感謝していたようですが、先輩はベガルタの昇格シーンを見ることなくこの世を去りました。その葬式で受付などの手伝いをした時から、私と恵美さんとのベガサポ生活が始まります。

それまでは「単なる先輩の奥さん」に過ぎませんでしたが、全ての葬儀予定が終わった直後に「清次が見れなかった昇格は私が見ます。清次の分まで、わたしもベガルタを応援したいので、ユアスタへご面倒でも付き合ってください」と言われ、私も号泣しながら「分かりました・先輩が見れなかった昇格シーンが見れるよう、一緒に応援していきましょう」と固く握手。それ以来、年上の恵美さんは私のことを「先輩」と呼ぶようになりました。そして一緒に戦った昨年は、何回か一緒にアウエーへ行き、共に声援を送り続けたのです。リーグ戦も終盤になり、ベガルタの昇格が見えてきたアウエー水戸戦、当然のように恵美さんを観戦に誘うと、弱々しい声で「ごめん、子供の容態が良くないの。一人にさせられないから今回は行けないわ、私と清次の分まで応援してきて」と、無念そうに断ってきた。残念だったが「そうですか、大事な一戦だけど子供さんが病気ならしょうがないですね。恵美さんの分まで応援してきます」と言って、私は電話を切った。

めでたく昇格が決まり、今度はリーグ優勝をかけたホームのセレッソ戦。私は当然のように恵美さんを誘うと「ごめん、子供が病気で入院しちゃったの。流石に置いては行けないでしょ?病院のテレビで応援してるから、私の分まで声援を送ってね」という返事。「えっ、お子さんが入院しちゃったんですか?早く言って下さいよ。どこの病院ですか?お見舞いに行きます」と切り返すと、「ううん、たいした病気じゃないの、ほら、入院中の無様な格好を見られるのが恥ずかしい年頃だから、ねっ、治ったら大好きなケーキでも買ってきてもらうから。そんなことより、勝つように頑張って応援しなさいよ」という返事。確かに中2の女の子といえば思春期の真っ只中、そう言われればそうだよな・・・と納得し、私は清次先輩と恵美さんの分まで応援を頑張りました。

そんなこんなでホーム最終戦、お子さんの様態が気になり恵美さんへ電話。

自分「もしもし、優勝がかかった最終戦ですが、お子様のご様態はどうですか?一緒に行きたいのですが・・・」

恵美さん「ごめん、良くなったり、悪くなったりの繰り返しなの。今回も無理そうだわ。私たちの分まで応援してよね」

自分「あっ、そうなんですか・・しょうがないとはいえ残念です。せめて最終戦くらいは、優勝が決まるであろうシーンは恵美さんと見たかったので、声をかけさせていただきました。一緒に行きたかったです、マジで」

恵美さん「私も行きたいな~~、でも無理、ごめんね」

試合後、何とか優勝が決まり、恵美さんに報告。恵美さんも喜んでおり、来年のJ1観戦は一緒に行動することを約束して歳が暮れました。リーグ戦の最中は連絡を取っていたのですが、リーグが終われば接点は無く、何事も無かったように年も明け、そして7日の早朝に一本の電話が鳴りました。相手は高校時代のキャプテン、そしてその内容は・・・・

自分「おい、なんだよ、朝っぱらから・・・」
キャプテン「・・・・」
自分「おいおい、何なんだよ???」
キャプテン「清次先輩の奥さんが昨日亡くなったから・・・」
自分「えっ!?恵美さんが?お子さんじゃなくて、恵美さんが亡くなったのか?」
キャプテン「そうだ、恵美さんだ。告別式等が決まれば、また連絡する」


私には「子供が入院した」と言っていましたが、本当は恵美さん本人が入院していたのを知ったのは告別式のときでした。そうなのです、私は恵美さんが治療を受けていたのに、無理やり仙スタへ誘っていたのです。そんな私に気を遣わせまいと、恵美さんはお子さんが入院していることにし、決してご自身が病気の素振りを見せることなく私に対して気丈に振舞っていたのです。なんということでしょうか・・・夫婦揃って、J1での試合を見ることなくこの世を去るなんて・・。こんな不条理がこの世にあること自体納得できません。今思えば「私も行きたいぁ~~、でも無理、ごめんね」という意味は、ひょっとしたら「私も生きたいなぁ~~、でも無理、ごめんね」だったのでしょうか。そんなことを知らずに、最終戦での優勝が決まった直後に「ほら、だから来たほうがいいって言ったじゃないですか?2時間ぐらい病室を空けていても大丈夫だから、一緒に行きましょうよ、じゃないと、後悔しますよ。優勝シーンをライブで見ないと、清次先輩にも報告できないじゃないですか!!もー馬鹿だなぁ~~」と挑発するかのような電話をしましたが、あの時、恵美さんの心境はどうだったのか?と考えれば考えるほど慙愧に堪えません。

納棺の時、私はご親族さんの同意を得て、ベガルタ優勝記念新聞・昇格が決まった水戸戦、セレッソ戦・最終戦らを録画したDVD、カントリーロード、そして今期の日程表などの一緒に棺へと入れさせてもらいました。恵美さんのお兄さんに「これらがないと、恵美さんが清次先輩の元へ行った時に叱られます。天国で待っている清次先輩は、きっと恵美さんが持って行くお土産を楽しみにしているだろうし、恵美さんも清次先輩と一緒に見ることを楽しみにしていると思うんです。余計なものとは考えずに、お願いですから棺の中へ入れさせてください」と懇願したら、「そうですか、恵美が天国で清次君に叱られるのは可哀想だから、是非お願いします。2人が天国で一緒に昇格シーンのDVDを見るシーンが目に浮かびます。あっ、でも、恵美が天国に行くのはもうちょっと先かな・・・」と言いながら号泣、私も堪え切れずに号泣、そして、その隣にたたずむ中2の娘さんの瞳からも大粒の涙・・・・。

応援したくても、出来ない人が居ます。仙スタへ行きたくても、行けなかった人が居ます。J1での活躍を見たくても、見れなかった人が居ます。私たちは、その人たちの分まで応援しなければなりません。一緒に応援する仲間が遠くへ逝くと、その想いが強くなるベガルタンでした。

これらのブログを経て、次回の柏戦の内容へと続きます。

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