2014年11月12日水曜日

清次先輩、逝く。完結編

基本的に、私のブログはマッタリ系というか、スケベ系というか、ただ単に駄文を書き綴っているだけの、「仕事で疲れた皆様の筆休め的なブログ」である事は自覚しています。書き込みの全体的な構成としては、98%がマッタリ系の書き込みだからね。ベガツボの歴史は意外に古く、最初は楽天ブログで10年程書き綴った後、震災後にリフレッシュの意味で現在はブロガ―で駄文を書き込むようになりました。

そんなマッタリ系の書き込みの中にも、つい、感傷的な出来事に遭遇して書き込んでいるシリーズが2話ほどあり、今日からの5日間は、楽天時代から書き込んできた「清次先輩、逝く」の完結編です。本当は今日、いきなり完結編を書き込んでもいいんだけど、このシリーズを全く知らない人もいるだろうから、7年前に楽天ブログへ書き込んだシーズン1からアップします。そのままコピーしてアップしてもいいんだけど、多少なりとも表現などを訂正した改訂版を書き込む事としました。このシリーズは、大震災の時に書き込んだ「1枚のチケット」のシリーズと共に、大変想い入れがあり、もう一度この時の気持ちを誠実に書き込んだ方が、亡き先輩への供養になると考えたからね。

なので、今週、私の書き込みに「仕事の筆休め」を期待されている方々へ、ご連絡があります。今週、私の書き込みに「仕事の筆休め」や「シュールな笑い」はありません。年に1度くらいの頻度で感傷的な出来事を書き込むと、多くの人から「お前に感動的な書き込みは期待していない」とか「いいから、笑わせてくれ・・・」という抗議のメールがたくさん来ます。なので、この際ハッキリと言わせてもらいます。
今週は、笑いやエロは一切ありません!!よって、当ブログに「仕事で疲れた時の筆休めやリラクゼーション」を期待されている方は、この後の書き込みを絶対に読まないでください。心より、お願い申しあげます。それでは、7年前に書き込んだ、シーズン1「清次先輩、逝く」改訂版です。

2007.2.23 清次先輩、逝く

 一本の電話が来るまでは、何気ない週末だった。
キャプテン「おい・・・・・」
自分「・・・???って何が「おい」なんだよ?どうしたんだ?」
キャプテン「清次先輩が、亡くなった・・・・」
自分「えっ?何言ってんの?一週間前、お前とお見舞いに行った時は元気そうだったじゃないか!!」
キャプテン「今さっき、先輩の奥さんから連絡が入った・・・」
自分「嘘だろ?嘘だよな?あんなにタフだった先輩が死んだなんて、嘘だろ?」
キャプテン「・・・・・」

私の高校時代、キャプテンだった浦辺からの電話は突然だった。その内容は、体調を崩していた清次先輩の容態が急変し、ついさっき亡くなってしまったと言うのだ。清次先輩は高校のバスケ部で先輩。しかし、バスケを教えられるよりも、悪さの方を多く教えてもらった。その関係は社会に出ても続き、ソープ・キャパクラなどの風俗系や、麻雀、競馬などの公益ギャンブル、さらには非合法のカジノバー、ロイヤル麻雀、ポーカーなどのアンダーグランドなギャンブルまで、その全てを私に教えてくれた恩人である。こんな人が公務員になった時、ベガルタンは心の底から「世も末だよ・・・」と思ったものです。

数年前、めでたく結婚、そしてようやく子供を授かった時「俺、幸って意味が、40歳にして初めてわかったよ」と真面目そうに話した顔は今でも忘れられないが、そんな顔を二度と見る事が出来なくなった現実を、どのように受け止めたらいいのか正直わかりません。44歳で愛妻と永久(とわ)の別れをし、幸せの意味を教えてくれた子供とも別れなければならなかった清次先輩の心情は察するに余りある。無念だったことでしょう。身近な人が亡くなった時、人は初めて「自分の幸せ」を考えます。俺の幸せって、何だろう???

そんな清次先輩に対して、唯一、私が教えることができたのは「ベガルタ」でした。その先輩を、初めて招待した時の試合は今でも忘れることはできない。あれは11年前の川崎戦、ロスタイムにヒサトの2発で2-2の同点にした歴史的な試合だった。試合内容的には一方的で、シュートの数も少なく、ポゼッションでも圧倒され、初めて観戦した清次先輩も「何だよ、やられっぱなしじゃないか!!」と愚痴っていました。しかし、ヒサトの登場で雰囲気が一変!!足が止まりかけてきた川崎の選手を圧倒し、ゴールへのプレッシャーを継続的に掛け始めました。ただ、そうは言っても時計を見れば90分が過ぎてしまい「あ~~あ・・・負けちゃったよ・・・」と観念した瞬間、ヒサトのゴールが炸裂!!ようやく仙スタが盛り上がり、清次先輩も「おっ!!なっ、何だ?この盛り上がりは???」と不思議がっていました。

そんな清次先輩を見て「良かったよ、先輩に仙スタの魅力の一端でも見せることができて・・・」と安堵していたら、その数秒後に小針からのキック、それをゴッツェが頭でつないで、そのボールが裏を飛び出したヒサトの足に納まり、川崎のゴールの右隅へズドン!!となって同点に追いつきました。この瞬間の仙スタの盛り上がりようは、入れ替え戦でナジソンのゴールが決まったくらいの盛り上がりようでしたな。清次先輩もそんな盛り上がりに魅了され、次の日にはヒサトのレプリカユニを購入するほどハマリ、それ以来、時間が取れれば「おい、次の試合には行けそうだから、付き合えよ!!」との電話がかかってくるようになり、その時から年チケではなかった自分は「清次先輩の専属チケット購入班」となったのです。

清次先輩をベガサポにした試合というか、シーンがこれ。今振り返って動画を見てみたら、実況は下田だった。苦しいシーズンだったけど、この試合のインパクトは絶大でしたな。

 それから数年、互いに年チケを保有するようになり、お互いにベガルタを家族で応援する間柄となりました。そんな先輩が入院したとの連絡を貰ったのが11月も下旬でしたが、この時は自分も横浜戦や磐田への遠征が続いており、お見舞いには行けませんでした。その前提として「あんなタフな先輩なんだから、どうせ大した病気じゃないだろう」という思いがあり、病室へは行かず携帯で連絡を取ったのみであった。
自分「先輩、看護婦さんは綺麗ですか?駄目ですよ、手を出しちゃ。俺、夜行のツアーバスで「入れ替え戦と言う関ヶ原」の地、磐田へ行ってきます。先輩の分まで応援してきますから」
清次先輩「おおー、頼むぞ、俺の分まで。昇格するんなら、俺の命をやってもいいぞ」
自分「任せてください!!って言うか、先輩の汚い命なんて要りません。拒否します。先輩みたいに、この時期に入院していたことを、一生後悔するくらいの歴史的瞬間をこの胸に刻んできます」みたいな会話があったのだが、まさか、本当に命を賭けていたなんて・・・この時のベガルタンは知る由もありませんでした。試合後、試合に敗れ、バスの座席にもたれ、失意の底に沈んでいた自分に先輩から電話がはいった。

清次先輩「残念だったな・・」
自分「自分は今、セミの抜け殻状態です」
清次先輩「ごくろうさん」
自分「試合後、選手たちの姿を見ても泣かなかったのですが、周りで泣き崩れるベガサポを見ていたら、貰い泣きしちゃいましたよ」
清次先輩「行きたいなぁ~~」
自分「えっ?何言ってんですか?試合は終わったんだから「行きたい」って言われても遅いですよ、早く直して、来年の開幕戦には一緒に行きましょう。宮スタなので自分が車を出します」といった感じの会話があったのだが・・・

今思えば「行きたい」のではなく「生きたい」と言いたかったのですね、清次先輩、気づきませんでした。本当にごめんなさい・・・。


明日はシーズン2の改訂版をアップします。

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