2015年12月18日金曜日

ベガルタン、ベガリターノ司教に悩みを聞いてもらう

ここは仙台市泉区の郊外にたたずむ聖ベガルータ教会。この教会に居るベガリターノ司教は人格者で、その教えを請う人や、悩み事を打ち明ける人などが大勢集い、教会とは思えないくらいの活気に満ち溢れている。もちろん、ベガルタンもその一人だ。今日は毎年恒例、司教に「今年のベガサポとして」の懺悔をしに来たのだった。

師走の初旬、ベガルタンは車を走らせ尊敬している司教の元へ向かった。山間の木立を抜けて教会の駐車場に着くと、司教たちはせっせと清掃作業を行なっている。銀杏の葉もすでに落ち果て、彩りを与えてくれた木々の紅葉も今は昔。司教と仲間たちは、せっせと落ち葉をかき集め、ごみ袋の中へ押し込む作業をしていた。

ベガルタン「ベガリターノ司教、ご無沙汰しています」
司教「おぉーこれはベガルタンさん、めずらしい・・」
ベガルタン「落ち葉が多くて大変ですね」
司教「昔なら、これで焼き芋を・・だったのですが、今、そんなことをしようものなら、ご近所さんからクレームが来ます。もったいないですが、ゴミとして処分するしかありません」
ベガルタン「今日は、会社のお歳暮関係で余ったインスタントコーヒーを大量に差し入れです」
司教「それはありがたい。この時期、教会を訪れる皆さんには、コーヒーが一番ですから」
ベガルタン「そう言って頂けると嬉しいです」
司教「さあ、それではそのコーヒーで、信者さん手作りのマロンケーキでも食べましょうか」

ベガルタンが初めてベガリターノ司教に会ったのは、忘れもしない、磐田との入れ替え戦で敗れ去った4日後であった。何をするのも自暴自棄となり、自分自身に嫌気が差し始めたベガルタンは、その日も仕事の途中でサボり、この教会の駐車場で寝ていた。しばらくして、不意にガラス窓を「とんとん」と叩く音に気づき起き上がると、そこには笑顔の司教が立っていた。

無断で車を止めた事を注意されると思い、窓開けると急いで「今直ぐ出ます。すいませんでした」と謝るベガルタン。すると司教は「ご近所さんから、美味しいアップルパイを頂いたので、ご一緒にどうですか?」とサプライズ。物は試しと、初めて教会の中へ入るのだった。

教会でアップルパイを食べながら、司教に「自分はベガサポであること、入れ替え戦で負けた事、何もする気力が無くなった事・・」などを切々と話すベガルタン。すると、悩んでいるベガルタンに対し、司教は旧約聖書の一節を話し始めたのです・・・・。

司教
貴方が悩まれているのは良く分かりました。しかし、貴方の話を聞いていると、結局はベガルタが好きなんですね。だとしたら、旧約聖書にこんな一節があります。
「信仰の道をわたしは選びました。(旧約聖書『詩編』11930)

私たちの前には常に色々な選択肢があり、どれかを選ばなくてはなりません。何事も選ばなければ、前に進めません。そして、一度選んだならば必ずその影響を受けます。このような一瞬一瞬の選択によって、私たちの人生が展開していくのです。しかし、あらゆる選択に先立つ根本的な選択があります。神に従う道と、神を無視する道です。

これをベガルタンさん風に置き換えると「ベガサポを続けるか、それとも苦しいから辞めてしまうか」とでもなるでしょうか。これを間違えばすべてを間違うでしょう。入れ替え戦に負けて苦しい、嫌になった・・・。それでベガサポを辞めると選択した者には、更なる幸福はなく、また違った新たな出来事で悩むはずです。貴方はベガルタが好きだからこそ悩み、苦しんでいる・・・。だとしたら、あらゆる選択に先立つ根本的な選択は一つしかないと気づくべきです。

それさえ間違わなければ、あなたの選択は、主の恵みによってすべてが善きに変えられると、私は信じています。

そう教えられたのが、私と司教の出会いです。その司教に、今年も悩みを色々と聞いて欲しくて、ベガルタンは教会へ来ました。


続く。

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