ベガータ教の懺悔室 信仰(応援)は生活の癒しなのです
川崎に惜敗した土曜日の夕方、半年ぶりにベガータ教の懺悔室が市内の居酒屋で行われた。参加人数は17名、結構集まったよな・・・と言うのが率直な想いではあるが、その理由が「チームの頑張り」である事は明白である。最近は「勝っても、首位でも満員にならない・・・」という現状ではあるが、逆説的に言えば「結構勝ってて、首位だからこそ、このくらいの人数がユアスタへ足を運んでくれている」とも言えよう。こんな事は考えたくもないが、「もしも、札幌のような試合結果が続いて・・・」と言う状況になっていたら、1万人オーバーが関の山だったはずです。前回の名古屋戦は16,000人でしたが、こんなに勝ってて、そして首位で、そんでもって相手が名古屋で16,000人なんだから、これが最下位で、0-7でボロクソに負けて、そんでもって相手が鳥栖だったら、1万人オーバーなんて無理でしょうな。だからこそベガルタンは、現状の16,000人をポジティブに考えるようにしています。土曜日のデーゲームって、意外と仕事なんかとの両立が厳しいんだよね。
さて、メンバーも揃ったようなので、そろそろ懺悔室へ行きましょう。今までなら、ここで「乾杯(^O^)/」をして呑んでから行なっていましたが、話題によっては呑み過ぎが原因で相談にはならず、グダグダになっちゃう場面が多くなったので、今年からは「呑む前にやる!!」を合言葉にしたいと思っています。それでは、最初の懺悔者の方、貴方の想いを主にお話し下さい。
主よ私は信者歴3年目のOLです。つまり、昇格してからの信者と言う事になり、諸先輩方には大変申し訳ないのですが「J2の苦しさ、そして昇格の厳しさ」は知りません。私が知っている信者ライフとは「それなりに余裕があった残留レースと、震災後に快進撃を続けた昨年、そして首位に立っている今年」の3年だけであり、信者(サポーター)とすれば、それはそれは恵まれた人生だと思っています。そんな私に、今後の教訓と言うか、信仰を続けるうえでの秘訣のような物がありましたら、是非ともお教えください。
主はこう仰いました
イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
『ヨハネによる福音書』5章6節
信仰(サポーター)生活とは、希望に向かって歩く生命力です。沙漠のように生きることを拒むような世知辛い浮き世(例えば入れ替え戦など)でありますが、その中を歩み続けるタフな生命力を持つということに信仰(サポーター)生活の醍醐味があるということを是非、覚えておいてください。本当の幸せとは「入れ替え戦で敗れ、そして泣き崩れ、耐え凌んだ向こう側」にしかないのです
しかし信仰が病んでしまうということがあります。聖書(Vプレス)も読む。祈りもする。礼拝(サポート)も守っている。願い(優勝の)もある。しかし、その歩みが、時に数年、いや、数十年単位の忍耐が必要となり、その遠大な行程へ歩む力こそ「信仰(サポーター)の力」ないのです。それはちょうど、ベトザタの池のほとりにいた病人が、癒されることを願いつつその池のほとりに38年間も身を横たえながら、心の底では「自分には池に入る力がない。誰も自分を池に入れてくれる者がいない。私は癒されない」と、絶望していたように・・・。
あなたは、来る日も来る日も、身を横たえて、祝福の泉を眺めるだけの霊的無力な信仰者 (例えば、首位に立っている順位表を眺めたり、快勝した試合の録画や、解説者が絶賛しているスポーツニュースのコメントを見続けるなど) になっていないでしょうか。イエス様はあなたに問うておられます。「なぜ、見ているだけで、それを実際に手に入れようとしないのですか。」、「なぜ信じていながら、希望に向かって歩まないのですか。」、「あなたは本当にそれを手に入れたいのですか。」
その時、あなたは「主よ、それは不可能です。私は今幸せです。歩かなくても、十分に試合を楽しんでいます」と、力なく答える者になっていないでしょうか。横たわっているだけ歩く力がないということは、信仰の病の証拠なのです。選手は、いや、チームは頑張っています。そして、その頑張りで私たちは幸せな日々を過ごせているのは事実でしょう。しかし、そこで思考が止まってしまえば、やがて貴方は「38年間も身を横たえながら、心の底では「自分には池に入る力がない。誰も自分を池に入れてくれる者がいない。私は癒されない」と、絶望していた老人と同じになってしまいます。私はその事が心配です。
そんな貴方に、なお「あなたは治りたいのか」と近づいてくださる方がイエス様です。イエス様は、「あなたにできなくても、他の誰にもできなくても、私にはできる」という頼もしいお心をもって、私たちに「治りたいのか」と呼びかけてくださるのです。どうか、その声を聞いて、イエス様に対する無限の、そして絶えざる信頼を呼び覚ましたいと願ってください。
イエス様ならできる。
イエス様は、私の力となり、私の命となって起きあがらせ、歩かせてくださる。
そのような信仰をもって、一瞬一瞬を「イエス様!、私の膝に力を与えてください。イエス様! 私のくるぶしに力を与えてください。イエス様! どうぞ、一歩を踏み出させてください」といいつつ、ゴールが決まったら佐々木氏を思い出しながら「イエェーーース!!!」と連呼して下さい。徹頭徹尾、イエス様にお頼りして、立ちがあり、歩こうとするとき、貴方は思いがけないような力、すなわちイエス様の力が、私達の内の力となって溢れてくるのとを知るでしょう。その力を感じた時、貴方は真の意味での信仰(サポーター)を悟る事が出来るはずです。
イエス様と、イエーース氏、どちらもベガルタにとっては必要な人だと思っていますが、こんな事を書き込むと「お前は犯罪者の味方か?」と怒られてしまう事は確実です。確かに、淫行は良くありません。しかし、あの才能をこのまま消えさるのは惜しすぎます。なんとか、なりませんかな・・・。
2012年5月30日水曜日
2012年5月29日火曜日
川崎戦に想う
えーと、負けちゃいましたな。まっ、アクシデントはあったんだろうけど、こんな時こそ「言い訳」などせずに「川崎さんの方が強かったし、何よりも気持ちで負けていました・・・」とコメントするのがジェントルマンと言うか、チャンピオンを目指すチームと言うものでしょう。だけど、交代のカードが次から次へと奥埜を除いて守備的なメンバーにならざるを得なかった事は痛かったですな。最初は「えっ、なんで田村を??」とか「うそっ、どうして菅井??」って思ったし、「松下のSBなんて初めて見たよ」とか「おいおい、今度は角田がSBかよ・・・」って怪訝に思ったけど、そうですか、そうせざるを得ない理由があったのですな。
当然負ければ悔しいんだけど、去年とは悔しさの質が違っている事に最近気づきました。昨年までだったら、0点に抑えられて「全然良いところが無かったよな・・」という敗戦が多かったんだけど、今年の場合は先制されても「とりあえず追い付く」か「意地の一発!!」みたいな展開、を必ずと言っていいほど見る事が出来ます。つまり、「今日の試合は何もなかったよな・・」という事は無く、最低でも「まっ、あのゴールが観れただけでもよしとするか・・・」とか「とりあえず、先制されても一時期は追いついたんだから・・・」という展開が常であり、試合に勝てない時の「不満のガス抜き」がしっかり出来る試合が殆どなのです。「ロスタイムに追いついたんだから・・(川崎戦はやられたけど)」、「富田のゴールが観れたんだから・・」、その理由は様々ですが、今年のベガルタは試合を観戦するにあたって「損はさせないよ」的な試合展開が多いことが嬉しいですな。
ネット上では「川崎の方が攻撃的で楽しいサッカーをしていた」みたいな意見があるようですが、確かに一時期の広島のような自陣のゴール前からでも繋ぐサッカーを志している事は分かります。例えミスからピンチになっても、「俺たちは、このサッカーを極めるんだ」感がビシビシありましたからな。川崎の監督の理想は高く、チームや選手は「その理想」を追求すべく、壮大な夢に向かって舵を切ったようです。試合中もアナウンサーが「ボールを保持し続ければ負けることは無い」みたいなフレーズを連呼していましたが、バルセロナのようなサッカーを志すチームが複数、日本にも表れようとしているところにJリーグの将来が見えてくるような気がします。仙台には仙台の、川崎には川崎の、東京には東京の、浦和には浦和の、チーム独自の戦術によって目指すサッカーの多様性があればある程、そのリーグが観ていて楽しくなる事は確実ですな。
バルセロナのようなサッカーは、ある意味究極の進化系でもあります。彼らにかかれば、リーグ優勝したリアル・マドリードだって、マンチェスターCだって、ACミランだって、どの国のリーグで優勝したチームだって「試合が始まる前に圧倒的にポゼッションされる事」を覚悟して試合に入ります。そして、そんなチーム戦術を模倣しようと志そうというチームも出てくるのですが、そんなチームは例外なくリーグ戦で苦しみ結果となっているようです。究極のポゼッションサッカーとは、バルセロナのように「凄まじいポゼッション力」を有していないと、長いシーズンを乗り切る事は出来ないのですな。そんな理想に向かって歩めるチームサポは幸せかもしれません。しかし、その理想が高ければ高いほど、現実の壁も高く険しくなります。おそらく、川崎の戦績は安定しないでしょう。しかし、その圧倒的なポゼッションサッカーという理想は、その不安定さの向こう側にあります。他チームサポながら、どうなるかが楽しみですな。
仙台のサッカーも年々進化している事は、間近で見ている私たちが一番実感しています。仙台の理想と言えば川崎とは違い「人もボールも、そして見ている人たちの心も動くサッカー」です。圧倒的にボールをポゼッションするという理想には憧れながらも、「まずは、しっかりとした守備から・・」がチームを代表するワードでもあります。仙台だって、圧倒的にポゼッション出来るサッカーが嫌いな訳じゃないけど、そんなサッカーを目指すのは「現実的な目標」をクリアーしてからになるんでしょうな。現実的な目標とは、タイトル・もしくはACLということになります。今年、そのステップをクリアー出来たら、チームもサポーターも一皮むけるはずです。むきたいですな。
当然負ければ悔しいんだけど、去年とは悔しさの質が違っている事に最近気づきました。昨年までだったら、0点に抑えられて「全然良いところが無かったよな・・」という敗戦が多かったんだけど、今年の場合は先制されても「とりあえず追い付く」か「意地の一発!!」みたいな展開、を必ずと言っていいほど見る事が出来ます。つまり、「今日の試合は何もなかったよな・・」という事は無く、最低でも「まっ、あのゴールが観れただけでもよしとするか・・・」とか「とりあえず、先制されても一時期は追いついたんだから・・・」という展開が常であり、試合に勝てない時の「不満のガス抜き」がしっかり出来る試合が殆どなのです。「ロスタイムに追いついたんだから・・(川崎戦はやられたけど)」、「富田のゴールが観れたんだから・・」、その理由は様々ですが、今年のベガルタは試合を観戦するにあたって「損はさせないよ」的な試合展開が多いことが嬉しいですな。
ネット上では「川崎の方が攻撃的で楽しいサッカーをしていた」みたいな意見があるようですが、確かに一時期の広島のような自陣のゴール前からでも繋ぐサッカーを志している事は分かります。例えミスからピンチになっても、「俺たちは、このサッカーを極めるんだ」感がビシビシありましたからな。川崎の監督の理想は高く、チームや選手は「その理想」を追求すべく、壮大な夢に向かって舵を切ったようです。試合中もアナウンサーが「ボールを保持し続ければ負けることは無い」みたいなフレーズを連呼していましたが、バルセロナのようなサッカーを志すチームが複数、日本にも表れようとしているところにJリーグの将来が見えてくるような気がします。仙台には仙台の、川崎には川崎の、東京には東京の、浦和には浦和の、チーム独自の戦術によって目指すサッカーの多様性があればある程、そのリーグが観ていて楽しくなる事は確実ですな。
バルセロナのようなサッカーは、ある意味究極の進化系でもあります。彼らにかかれば、リーグ優勝したリアル・マドリードだって、マンチェスターCだって、ACミランだって、どの国のリーグで優勝したチームだって「試合が始まる前に圧倒的にポゼッションされる事」を覚悟して試合に入ります。そして、そんなチーム戦術を模倣しようと志そうというチームも出てくるのですが、そんなチームは例外なくリーグ戦で苦しみ結果となっているようです。究極のポゼッションサッカーとは、バルセロナのように「凄まじいポゼッション力」を有していないと、長いシーズンを乗り切る事は出来ないのですな。そんな理想に向かって歩めるチームサポは幸せかもしれません。しかし、その理想が高ければ高いほど、現実の壁も高く険しくなります。おそらく、川崎の戦績は安定しないでしょう。しかし、その圧倒的なポゼッションサッカーという理想は、その不安定さの向こう側にあります。他チームサポながら、どうなるかが楽しみですな。
仙台のサッカーも年々進化している事は、間近で見ている私たちが一番実感しています。仙台の理想と言えば川崎とは違い「人もボールも、そして見ている人たちの心も動くサッカー」です。圧倒的にボールをポゼッションするという理想には憧れながらも、「まずは、しっかりとした守備から・・」がチームを代表するワードでもあります。仙台だって、圧倒的にポゼッション出来るサッカーが嫌いな訳じゃないけど、そんなサッカーを目指すのは「現実的な目標」をクリアーしてからになるんでしょうな。現実的な目標とは、タイトル・もしくはACLということになります。今年、そのステップをクリアー出来たら、チームもサポーターも一皮むけるはずです。むきたいですな。
2012年5月25日金曜日
ベガルタン、大学の恩師にラポロ―チメントの教えを貰う!!
えーと、明日は川崎戦のようですが、昨年のように「異常な状況」で迎えないにしても、驚くほど心は冷静です。楽しみじゃない訳ではないのですが、そうかといってガールズバーへ出撃する様な「イケイケ感」などは微塵もありません。何故でしょうか?
この試合を迎える状況と言うか、心境は尋常ではなかった。太田のゴールにはベガサポの魂、その全てが乗り移っていたと言っても過言ではなかろう。決して綺麗な崩しからのゴールではないし、豪快なゴールでもないが、あのゴールには「言葉に言いつくせない心情や気持ち」がびっしりと詰まっていたような気がする。
そんな漠然とした疑問というか不安に苛まれていた昨日、仕事で大学の恩師に出会ったので、さりげなく愚痴をこぼしてみました。
ベガルタン「いや実は、最近、試合を迎えるにあたっての高揚感みたいな物が気薄になって来たような気がして・・・今までは「首位を独走する日が来たら、毎日がメチャクチャ楽しいんだろうなぁ~~。もう、試合が楽しみで楽しみでしかたないんだろうなぁ~~」と妄想していたんですが、今の心境はと言えば「楽しいことは楽しいんですが、怪我人も多くなってきたし、苦手な夏場も来ると言う事で、期待と不安が半々の状況なんです」
恩師「お前、ゼミの講義を忘れてしまったのか?それは軽度な「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」だな・・・」
ベガルタン「えっ、これがラポロ―チメント現象なんですか?」
大学の恩師から、ラポロ―チメントを指摘されるベガルタン。ちなみに、ラポロ―チメントの危機とは・・・・
発達心理学の考え方の中に「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」と呼ぶものがあります。ちょうど歩き始めたばかりの頃、赤ちゃんが好奇心にかられてお母さんから離れて遊びに行くのですが、ふと不安になって振り返り、お母さんが自分を見ていてくれるかどうかを確認する瞬間があります。その時、お母さんと目が合って、お母さんの笑顔を確認できれば、赤ちゃんは冒険の旅を続けられるのですが、お母さんがそっぽを向いていたりすると不安に耐えられずにお母さんのもとに戻ってくる子が多いようです。さらに、戻ってきた赤ちゃんをお母さんが何らかの理由(食事の支度で忙しいなど)で、(一時的にせよ)拒むと赤ちゃんはなかなかお母さんのもとから離れなくなる、と言われています。いったん離れた子供が、再度母親に近づくところからre-approachment(ラプローチメント、再度近づく)時の危機、と呼ばれています。
恩師「お前だけかじゃないと思うが、どう考えてもベガルタ仙台にJ1を独走優勝する力なんて無い・・・という考えを持ったサポーターは多いと思う。サポも人間だから、心の中には「感情」というものが存在するけど、1人1人の心の中には必ず「幸せになることへの恐れや罪悪感」等、自分自身でも気付いていない意識や思いがあるということはゼミで講義したはずだぞ。すると幸せな感情が長く続くことを信頼できなかったり幸せな気持ちでいることが怖くなってしまい自らネガティブな感情を招いてしまう要因にもなる。
お前の場合は「ベガルタが独走するなんて有り得ない、ベガルタが、ぶっちぎりで優勝するなんて有り得ない」という漠然とした不安に苛まれているんだろうな。つまり、赤ちゃんのように「独り立ち(優勝)」が出来るかどうか不安になったからこそ、赤ちゃんが母親に見守ってもらえているかどうか確認するのと同じ原理で、俺に愚痴っている訳だ・・・」
ベガルタン「俺、赤ちゃんだったんですか・・・。確かに、J1で首位をキープするなんて未知の経験と言うか領域なんで、多少は「こんなに良いことばかりが続く訳は無い」とは思っていましたし、そんな時に主力のメンバーが怪我で離脱したのでネガティブになっていたのかもしれません」
恩師「いいか、「危機」というくらいだから、この瞬間が、子育て(チームを応援するサポーター)にとって「危険」でもあり「チャンス」にもなる分岐点なんだぞ。お母さんの元をなかなか離れられない子になるか、一人でも、多くのサポーターと共に応援していると言う安心感を得て、自分の信念に従って行動(優勝を信じて応援する)できる子になるか・・・」
チームをサポートしていると、喜怒哀楽といった全ての感情がパッケージになって付いてきます。連勝は嬉しいし、首位も嬉しい。しかし、長いリーグ戦がハッピーばかりじゃない事は経験則として分かっているつもりでしたが、それなりの期間を「首位で突っ走る」という現象は未知の領域だったので、多少不安(深層心理で)になっていたことは事実なのでしょう。知らず知らず、ベガルタンは「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」に直面していました。しかし、ピンチはチャンスです。この漠然とした不安感を打ち破れたその時、ベガルタンはサポーターとして「一皮むけた」状況になるはずです。結果的に優勝して、剥けたいものですな。ちなみに、下半身の方は高校3年生の夏休みに剥けました。
明日は川崎戦、ビート・フロンターレ!!
この試合を迎える状況と言うか、心境は尋常ではなかった。太田のゴールにはベガサポの魂、その全てが乗り移っていたと言っても過言ではなかろう。決して綺麗な崩しからのゴールではないし、豪快なゴールでもないが、あのゴールには「言葉に言いつくせない心情や気持ち」がびっしりと詰まっていたような気がする。
そんな漠然とした疑問というか不安に苛まれていた昨日、仕事で大学の恩師に出会ったので、さりげなく愚痴をこぼしてみました。
ベガルタン「いや実は、最近、試合を迎えるにあたっての高揚感みたいな物が気薄になって来たような気がして・・・今までは「首位を独走する日が来たら、毎日がメチャクチャ楽しいんだろうなぁ~~。もう、試合が楽しみで楽しみでしかたないんだろうなぁ~~」と妄想していたんですが、今の心境はと言えば「楽しいことは楽しいんですが、怪我人も多くなってきたし、苦手な夏場も来ると言う事で、期待と不安が半々の状況なんです」
恩師「お前、ゼミの講義を忘れてしまったのか?それは軽度な「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」だな・・・」
ベガルタン「えっ、これがラポロ―チメント現象なんですか?」
大学の恩師から、ラポロ―チメントを指摘されるベガルタン。ちなみに、ラポロ―チメントの危機とは・・・・
発達心理学の考え方の中に「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」と呼ぶものがあります。ちょうど歩き始めたばかりの頃、赤ちゃんが好奇心にかられてお母さんから離れて遊びに行くのですが、ふと不安になって振り返り、お母さんが自分を見ていてくれるかどうかを確認する瞬間があります。その時、お母さんと目が合って、お母さんの笑顔を確認できれば、赤ちゃんは冒険の旅を続けられるのですが、お母さんがそっぽを向いていたりすると不安に耐えられずにお母さんのもとに戻ってくる子が多いようです。さらに、戻ってきた赤ちゃんをお母さんが何らかの理由(食事の支度で忙しいなど)で、(一時的にせよ)拒むと赤ちゃんはなかなかお母さんのもとから離れなくなる、と言われています。いったん離れた子供が、再度母親に近づくところからre-approachment(ラプローチメント、再度近づく)時の危機、と呼ばれています。
恩師「お前だけかじゃないと思うが、どう考えてもベガルタ仙台にJ1を独走優勝する力なんて無い・・・という考えを持ったサポーターは多いと思う。サポも人間だから、心の中には「感情」というものが存在するけど、1人1人の心の中には必ず「幸せになることへの恐れや罪悪感」等、自分自身でも気付いていない意識や思いがあるということはゼミで講義したはずだぞ。すると幸せな感情が長く続くことを信頼できなかったり幸せな気持ちでいることが怖くなってしまい自らネガティブな感情を招いてしまう要因にもなる。
お前の場合は「ベガルタが独走するなんて有り得ない、ベガルタが、ぶっちぎりで優勝するなんて有り得ない」という漠然とした不安に苛まれているんだろうな。つまり、赤ちゃんのように「独り立ち(優勝)」が出来るかどうか不安になったからこそ、赤ちゃんが母親に見守ってもらえているかどうか確認するのと同じ原理で、俺に愚痴っている訳だ・・・」
ベガルタン「俺、赤ちゃんだったんですか・・・。確かに、J1で首位をキープするなんて未知の経験と言うか領域なんで、多少は「こんなに良いことばかりが続く訳は無い」とは思っていましたし、そんな時に主力のメンバーが怪我で離脱したのでネガティブになっていたのかもしれません」
恩師「いいか、「危機」というくらいだから、この瞬間が、子育て(チームを応援するサポーター)にとって「危険」でもあり「チャンス」にもなる分岐点なんだぞ。お母さんの元をなかなか離れられない子になるか、一人でも、多くのサポーターと共に応援していると言う安心感を得て、自分の信念に従って行動(優勝を信じて応援する)できる子になるか・・・」
チームをサポートしていると、喜怒哀楽といった全ての感情がパッケージになって付いてきます。連勝は嬉しいし、首位も嬉しい。しかし、長いリーグ戦がハッピーばかりじゃない事は経験則として分かっているつもりでしたが、それなりの期間を「首位で突っ走る」という現象は未知の領域だったので、多少不安(深層心理で)になっていたことは事実なのでしょう。知らず知らず、ベガルタンは「ラポロ―チメントの危機(re-approachment)」に直面していました。しかし、ピンチはチャンスです。この漠然とした不安感を打ち破れたその時、ベガルタンはサポーターとして「一皮むけた」状況になるはずです。結果的に優勝して、剥けたいものですな。ちなみに、下半身の方は高校3年生の夏休みに剥けました。
明日は川崎戦、ビート・フロンターレ!!
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